5. 精神疾患

私たちがスパインシナプスの研究を始めた1995年当時には、スパインの生理的な調査が精神疾患に繋がる日がこれほど早く来るとは思いませんでした。この間、スパインの生理的性質の解明と、精神疾患のゲノムの解明が進み、精神疾患の中でも統合失調症と自閉症スペクトラム疾患はシナプスの病気であることが広く認められるようになってきました。我々は、基本的には統合失調症はシナプスの学習障害、自閉症スペクトラム障害はシナプスの揺らぎ(安定性)の障害であると思っています(代表文献8,11)。これらは遺伝子疾患ですので、関係する遺伝子によって学習と揺らぎが異なった程度で障害されます。シナプスの学習障害がなぜ陽性症状をもたらすのかはとりわけ神経科学の中核的な問題です。シナプスの揺らぎは正常な状態では、学習の発散を防いでいるようです(論文準備中)。ただし、揺らぎが過剰に起きると、神経回路の発達や維持が損なわれます。スパインの運度をよりよく測定できるようにし、障害の原因を明らかにし、運動を正常化する方向で新しい治療法が拓けないかと考えています。

これに対して、うつ病は遺伝疾患でなく、原因遺伝子はシナプスには見つかりません。そういう意味では、我々の研究から遠いと最近まで考えてきました。ところが、柳下グループが側坐核のスパインシナプスの可塑性を調べるにつれ、学習とモノアミン、特にドーパミン、の関係がわかってきました(文献3)。ドーパミンは報酬・罰学習に関係し、鋭い報酬・罰時間枠でスパイン運動を促進します。モノアミンは脳全体の活動から動物の置かれた状況を推定して、それを全脳に伝えます。この過程を含む、報酬・罰学習の障害がうつ病の本質と考えられます。最近、ケタミンというNMDA受容体の阻害剤がうつ病の特効薬としての作用を持つことがわかり、米国では未認可の状態で広く使われ始めており、正式使用も近々始まると考えられます。これまでの抗うつ剤が作用に1、2か月を要し、その間に自殺者を出しているのに対して、ケタミンの作用は即効的で、患者さんは数時間でうつ状態を脱します。日本でも早く使用できるようになり、沢山の患者さんが救済されることが期待されます。このケタミンの作用は発見的に見つかり、未だにその作用機序がわかっていません。ケタミンは麻薬ですので、作用機序もわからず使用するのはためらわれます。最近、日本医療研究開発機構(AMED)の助成(脳プロ融合脳)を受けて、私のグループは千葉大学の橋本謙二先生、大阪大学の橋本均先生、東京大学精神科の小池進介先生、群馬大学精神科の福田正人先生、熊本大学の岩本和也先生と共同で、この作用機構を解明し、新薬の開発につなげる研究を開始しました。一昔前は生理学と精神科というのは大きなギャップがありましたが、今は一致団結して問題解決に進んでいます。こういう神経科学の状態が素晴らしいと思います。