4. 大脳の運動するシナプス

4.1 樹状突起スパインと脳機能

大脳の代表的細胞である錐体細胞の興奮性シナプスは何故か樹状突起のスパインという棘の上にできます。この様なスパインを持つ細胞は脳でも高次機能に直接関係する細胞で発達しており、無脊椎動物ではほとんど見られません。大脳のスパインは見事に多形であり、その形は脳精神疾患で異常を来します。これらの状況証拠から、スパインは高次脳機能の要素を担っていることが示唆されます。しかし、20世紀の電気生理学の方法論では、この一つ一つのスパインを刺激してその機能を調べることはできませんでした。これは、電流による刺激は広がりやすく、一本の軸索をねらえないということや、電極を脳組織内で自由に動かすわけにはいかないことによります。従って、大きな問題でありながら、スパインという構造の持つ意味は、20世紀中にはほとんど解明できなかったのです。

4.2 2光子光化学顕微鏡

我々は、2光子励起法をケイジドグルタミン酸に適用して神経伝達物質グルタミン酸を単一スパインに局所投与する手法を初めて実現しました(Nature Neurosci. 4(2001)1086)。いわば、2光子光化学顕微鏡というべき方法論です。この様な顕微鏡では実効的な空間解像はグルタミン酸受容体の速さに依存しますが、幸い0.6ミクロンくらいの空間解像が達成されました。この手法を急性海馬スライス標本CA1錐体細胞に適用して、スパインのグルタミン酸感受性を系統的に調べました。この結果、グルタミン酸感受性はスパインの頭部が大きいほど強く、頭部のないスパインにはない、という構造機能連関があることを初めて明らかにしました。この時、グルタミン酸受容体はスパインの小さな部分に凝集していましたので、そこはシナプス後部であり、シナプス機能を担うグルタミン酸受容体と考えられました。高い空間解像のために非常に強い結論が導かれたわけです。スパイン形態とグルタミン酸受容体の発現という別個の事象が相関するのは、両方ともにアクチン繊維が関係しているからであると考えられます。2光子光化学顕微鏡は、いろいろな光化学現象に利用可能で、新たな発見をすべく、その技術を開発するのが我々の大事な仕事となっています。

さて、この大脳のスパインにできるシナプス(スパインシナプス)は代表的な記憶をするシナプスで、反復刺激をすると長期増強という結合強度の増強がおき、この際、グルタミン酸感受性の増大が起きると考えられています。従って、この長期増強は、最終的にはスパインの形態変化を伴うだろうということが予想されます。

4.3 スパインシナプスの運動

この可能性を立証するために、単一のスパインに長期増強が起きるように反復的に2光子励起法でグルタミン酸をかけて形態変化を観察しました。すると、刺激したほとんどすべてのスパインですぐ(数秒以内に)頭部が著しく増大し、半数ほどではそれが1時間以上持続しました。こうして我々はスパイン頭部増大という現象を見出しました。スパイン頭部増大は刺激したスパインに限定しておきます。また、グルタミン酸感受性の増大を伴っていましたので、長期増強の形態基盤であること考えられました。こうして、スパインは個別的に長期増強が書き込み可能で、書き込まれると大きくなり、その状態を保つこと、即ち、スパインがメモリー素子として機能していることが明確に証明され、また、スパインシナプスのメモリーは形態的であることがわかりました( Matsuzaki et al. Nature 429(2004)761)。このスパイン頭部増大はアクチン重合の促進によって起き、アクチン繊維の増大に伴って速やかにグルタミン酸受容体が集積すると考えられます。よく誤解されますので付け加えますと、スパイン頭部増大はスパインの体積の増大が本質です。一方、グルタミン酸受容体を持った小胞の細胞膜への融合は体積増大を説明しません。小胞の細胞膜への融合はもしあったとしても頭部増大とは別の現象と考えられます。

ここで、大事なことに気がつきました。 即ち、長期増強や長期頭部増大は小さなスパインではよく起きますが、大きなスパインでは起きないのです( Matsuzaki et al. Nature 429(2004)761)。 我々のこの結論は、スパインの大きさの正確な測定と沢山の実験に基づいており、間違いありません。 また、動物個体において、大きなスパインは長く持つ傾向があることが指摘されています(Trachtenberg et al. Nature 420(2002)788)。従って、大きなスパインは長期記憶の記憶痕跡そのものである可能性があります。この様に、シナプス可塑性の研究において、学習法則に著しい形態依存性が見られたのは初めてのことで、この意味するところは大きいと思われます。我々は、この様な脳シナプスの実際の学習法則、即ち、脳のメモリー素子の特性を、より生理的な条件で定量的に調べる作業を進めています。

スパインは頭部構造だけでなくネック構造も細く長いものから、太く短いものまでまちまちで、20世紀の科学者はむしろスパインのこの点に注目していました。 しかし、単一のスパインが刺激できなかったことにより、実証的な研究はこの点においても進んでいませんでした。 我々はこの問題に2光子光化学顕微鏡を応用することにより、ネック多型の機能的意義を見出しました。 即ち、ネック形態はシナプス可塑性を起こすカルシウムイオンの通りやすさを調節していました( Noguchi et al. Neuron 46(2005)609)。 小さなスパインは、ネックが細い傾向があり、このためにスパインに入ったカルシウムを樹状突起本幹に流し難く、大きなカルシウム濃度上昇をスパインに作り、長期増強成立を助けます。しかも、カルシウム上昇が本幹に広がらないので、単一のスパインに限局した長期増強が出せます。これに対し、大きなスパインは一般に太めのネックを持つ傾向があり、これによりカルシウムが本幹にもれやすく、スパインのカルシウム上昇は小さくなり、長期増強誘発には不利になります。こうして、シナプスの学習法則にも形態基盤があり、スパインのネックはその一つであることがわかりました。

4.4 我々の進む方向

このような研究から、スパインシナプスが脳の記憶素子、メモリー、であると考えることが自然になってきました。これまでは、脳機能を考えるとき神経細胞の発火が機軸に考えられてきました。たとえば、特定の人の顔に反応する細胞が側頭葉にある場合、その神経細胞がその顔を記憶する細胞である、という具合です。しかし、保存されているメモリーの実態が見えてくると、その神経発火の反応選択性がどのようにメモリーから構成されるのかが問題になります。神経細胞や神経回路は沢山のスパインシナプスに書かれている記憶を読み出す読み出し装置と見なすこともできます。神経回路の使われ方によって、読み出されるシナプスが異なり、違う記憶が呼び出されるのでしょう。保存されているメモリーから神経発火が説明されなければ、神経活動を理解したことになりません。このメモリーは驚くなかれ運動して力を出すメモリーでした。そして、この運動するメモリーが人間の脳には100兆個あります。この新しい脳の描像に基づいて、脳をシナプスから理解する研究にはどうすれば到達できるでしょうか。このために、我々は以下の様なプロジェクトを進めています。

1)脳のメモリー素子であるスパインシナプスの特性をよりよく解明します。即ち、形態的学習法則の分子基盤を明らかにします。形態的であるのはアクチン分子の調節が主役であることを意味します。更に、蛋白合成が関与すること、力を出して周囲の組織と作用すること、また、カルシウムシグナルが誘因となることについて、理解を進める必要があります。

2)スパインの学習法則(=運動法則)の大脳皮質各部位での相違を解明します。これにより、大脳皮質の機能局在のシナプスレベルの基盤を明らかにします。 3)動物個体を用いて脳の活動時にスパインシナプスがどのように使われているかを可視化します。 4)2光子光化学顕微鏡を用いて動物個体においてスパインシナプスに光による書き込みを行い、シナプスの運動法則をより自然に近い状態で明らかにする一方、書き込みの結果を、細胞レベル、最終的には個体レベルで明らかにします。 5)精神疾患モデル動物のスパイン形態・運動を系統的に調べます。